今回、鹿児島県を母と二人で旅した記録を残します。なぜ鹿児島なのかというと、両親が鹿児島県出身なのです。父は8年前に亡くなっており、こちらにも骨はあるのですが鹿児島の代々のお墓にも分骨していましたので、お墓参りに行きました。小学生ぶりの鹿児島県なので地理的な所が、全くわからずホテルをどこにとればよいのか色々悩みました。この旅で、家族の温かさや知覧特攻平和会館で生き方や命について考えさせられました。
国内を飛行機で旅することはほとんどなく、海外旅行はスムーズに飛行機とホテルなど予約できるのに国内は慣れなくてわさわさしてました。格安航空券とホテルがセットになったプランを予約しました。何故か朝早いほうが一日時間をたっぷり使えるからと思い6:30の飛行機にしました。よく考えたら、電車もまだない時間。車で空港まで向かうしかない。姉の家の方が、空港に近いため、母と前泊し、そこから50分くらい車を運転して空港に行きました。また3時起きでしたが、夜に鼻が詰まりまして苦しくて全く眠れませんでした。5時過ぎには空港に到着し、チェックインカウンターへ。予約番号を確認するのを勘違いしていて危うく飛行機に乗れない所でした。行きはスカイマークの飛行機、母は飛行機の乗るのも楽しみにしていました。母は、ずっと鹿児島に帰りたいと言っていたので、鹿児島に連れて行くことができてよかったなと思っています。時刻通り空港に到着、この日の天気は雨でしたが、昼からは雨は止む予報。
空港には、父の弟家族が約10人ほどと、母の家族が迎えに来てくれていました。そんな歓迎に合うと思っていなかったので申し訳ない気持ちと、凄く嬉しくて感動したことを覚えています。父の葬式依頼、叔父さん(弟)には会っていなかったので見てわかるかも心配でしたがすぐに見つける事ができました。
この日は叔父さんの家に、お邪魔して父や祖母のお墓参りに連れて行ってもらいました。祖母の家は山の中のに一軒ある、そうポツンと一軒家のような所。そして五右衛門風呂だったことを覚えています。イノシシや猿がでて、農作物を荒らし、猿が両脇に南瓜を抱えて持っていくそうです。


お墓参りの後、流し素麺屋さんに連れて行ってもらいました。冬なのに素麺?と思いますよね。でもお店があるんですよ。日曜日ということもあり、沢山のお客さんで賑わっていました。外にはチョウザメが沢山飼育されていました。小学生の時に、祖母の家で素麺を食べたのですが、素麺が洗面器に入れられて出てきた事が衝撃で子どもたちで爆笑したのを覚えています。いつも素麺を見ると、洗面器と祖母や親戚を思い出すのです。なので従兄弟が、そんなに洗面器・素麺と言うのなら素麺屋に行こうと思ったそうです。生前、父もこのお店で食べたんだよと叔父さんが教えてくれました。私は、素麺ではなく地鶏そばを頂きました。そばに山芋かなにか練り込まれているようでした。流し素麺チームは楽しそうに素麺流しまくっていました。唐揚げ定食や鮎の塩焼きなどもありました。
叔父の家は、鹿児島空港に近い所にあります。ホテルは鹿児島中央駅に近い所にしました。空港から鹿児島中央駅までリムジンバスがでています。知覧までもバスが出ているのでアクセスに便利だと思います。親戚が、レンタカーは高いから車を乗って行きなさいと何度も言ってくれて、車を帰る日までお借りすることに。帰る日にまた叔父さんの家行く約束をして、母とホテルに向かいます。鹿児島中央駅まで約1時間ほど運転しました。ホテルに駐車場はありませんが、提携している所が3箇所ほどあります。上の写真はホテル内です。桜島が見えるお部屋を予約していて、母が喜んでずっと桜島をみて過ごしていました。その姿をみて幸せを感じました。ホテルのスタッフの丁寧な対応に感動、お部屋も綺麗でしたし、トイレとバスタブが仕切られていて良かったです。鹿児島中央駅は都会でした。

二日目は、私が数年前から絶対にここだけは生きてる間に行かなければと思っていた場所、「知覧特攻平和会館」に行きました。鹿児島中央駅から車で約1時間ほどで着きます。スタバでコーヒーを買って、コーヒーを嗜みつつ、桜島を横にみながらドライブです。


この日は暴風でしたが、青空がとても綺麗な日で幸せでした。知覧に行くまでの道はお茶畑が広がっていました。知覧茶や霧島茶など有名ですよね。静岡県・鹿児島県・三重県がお茶の生産ベスト3というイメージ。

知覧特攻平和会館へ到着し、中に入る前に外にある戦闘機を見てから会館の中に行きました。年中無休で午前9時から17時まで。大人500円小人300円という料金です。館内では、写真撮影などはほとんど禁止されています。ロビーや零戦展示室はカメラ撮影可になっていますので気をつけましょう。
展示室に入ると、特攻で旅立っていった隊員達の写真があります。下には手紙が展示されています。一人一人の顔・名前・年齢を見ていると涙が止まりませんでした。18歳・19歳・20歳の方々が多くいました。誰もが死にたくない、生きていたいでしょう。これからやりたいことも沢山あって、叶えたい夢もあったでしょう。好きな人と幸せになりたい・もっと勉強したい・親孝行したい色々な希望と夢があったでしょう。彼らの夢や希望を奪う日本があったという悲しい事実・歴史があり、私はそれを知らなければならないと思っていました。ほとんどの若者が、お母さんを思い手紙を残しています。今と昔の親に対する気持ちが全く違うなと思いました。
30分ほど映像で特攻について映像で、説明してくれる機会があったので母と参加しました。特攻隊員のエピソードも語られ、涙が止まりませんでした。彼らが、繋いでくれた今を私はちゃんと生きているだろうか、恥じない生き方ができているだろうかと考える旅になりました。特攻は必死の作戦と説明がありました。必死で勉強するとか使いますが、必死とは必ず死ななければ作戦は、なし得ないという意味でした。はっと思わされた瞬間でした。そういう意味だったんだ、必死についても考える機会になりました。知覧飛行場から沖縄に向けて出撃し、439人の特攻隊員が命を落としました。二度と同じ過ちを繰り返してほしくないですね。戦争がなくなればいい。

海に沈んでいた飛行機を引き上げたものが展示されています。零戦を見ると、永遠の0や風立ちぬなどの映画を思い出します。

知覧を後に、車で鹿児島市内に戻ります。その途中で、道の駅によりました。そこで、さつまあげと自地鶏のたたきを買いました。あと麦味噌も買いました。久しぶりに「さつまあげ」を食べたんですが、甘めで美味しかったです。地鶏も美味しかったです。付属についていた醤油が甘かったです。甘い醤油が主流なのでしょうか。小さい頃に、父や母が地鶏のたたきをにんにく醤油で食べていた事を思い出します。「地鶏のたたき」は母の大好物なので、喜んで食べていました。あくまきも好きなようで、九州物産展でよく買っています。この旅でも6本くらい購入しリュックに閉まっていました。
昼過ぎに鹿児島市内に戻ってきました。私は鹿児島市内を散歩と海の方まで桜島を観に行くことにしました。

少し風は強かったですが天気も良く。お散歩日和でした。西郷隆盛や大久保利通など歴史ある人物を学びながら歩きました。

色々な歴史について書かれているものがあって楽しめます。一時間以上歩いて、港に着きフェリー乗り場の近くまで来ました。このフェリー乗り場から奄美大島などに行けるようでした。私の目的は桜島を見ることです。

天気が良くて、綺麗な青空と桜島最高でした。しばらくここでこの景色を観ていました。活火山なので煙が上がっていました。歩いてきて良かったなと思いました。
3日目は帰る日です。また父方と母方の家族に見送られ帰路につきました。お見送りまであるなんてまたその優しさに感動しました。叔母さんが、お弁当を作ってくれて持たせてくれました。核家族だと味わえない家族というか親戚の繋がりに幸せを感じました。今度は、長期で鹿児島を旅してみたいと思います。

空の旅はいいですね。天空の城ラピュタの世界だと私は思っています。妄想しながらラピュタの世界を描きます。帰りの車の中で、作ってくれたお弁当を食べました。人が作ってくれたものって何でこんなに美味しいの?卵焼き最高でした。
生きてる意味や、自分の生き方を考える旅。愛を感じる旅でした。家族の愛や心を学び感じ、自分も愛ある人間でありたいそう思うたびになりました。